書き始める理由
Twitter的に自分の考えをなんとなたくただ呟きたくなった。
ただ自分が使うとTwitterはコミュニケーションがメインになってしまう(というかコミュニケーションを求めてしまう)。
あと長文が書きたい。
文章構成力が低いから普段から文章を書く習慣が付けたいという意図もある。
iPhoneのメモに3年くらい独り言を書いてたが、ブログであれば、もしかしたら、誰かが読むかもしれないという「もしかしたら」の部分に惹かれた。
コミュニケーションがメインになってしまい遠ざけたTwitterの話と矛盾してると自分でも思うのだけど…。
人目をはばからず思ったことを書きたいと思った。その時にTwitterみたいなSNSは横の繋がりが枷になる気がする。媚を売るではないけど……迎合するような、本音じゃないこと書き始めたりしちゃう。
このブログも続けていけば遅かれ早かれそうなるかもしれないけど、つとめて本音で書きたいなと思う。
自己表現、自己顕示欲、それに伴う面倒事(人との繋がりをこう書くのは暴論だとも思うが)を回避したいという倦怠感。それらが動機。
誰かが見てくれるかもしれないという決して高くはない可能性が丁度いい気がした。
うまく言えないんだけど、沈黙を肯定と捉えて根拠なく前向きになれる気がしたからだ。
恐らく誰も見ない。でも誰か見るかもしれない。見てたとしても私は思ったことを書く。これはとても心地よい。
人を傷つけたいとは思わないけど「傷つけるかも?」のラインは本音の中で書いていくつもりだ。
………………と、ここまでの文章を読み返してみると自己中心的にも程がある文章だと思う。けど本音オブ本音。
てかなんでこんなカッコつけた文体なんだ。本音だからフランクでもいいんじゃないか?まあいいか。私の日記である。好きにする。