鼻から酸素を吸えるように取り付けられたチューブ

熱でうなされて意味のわからないことを言っていた。

うちつけ、あしつけ?がどうとかと言っていた。意識が朦朧としているのかもしれない。

 

心が麻痺したように悲しみも恐怖も感じていなかった。麻酔みたいな何も無い感じない、フラットな心。

でも毎日夢でうなされて全然本当は大丈夫なんかではないのだ。

 

今日久しぶりに「あぁお母さんはこれから死んでいくんだな」とつくづく思ってしまった。

 

お母さんと過ごす時間がとても大事なのに、苦しんでる姿を見るのが耐えられなくて逃げたい。

お母さんのこと忘れていたい。

忘れて色々なことしてる間「でもお母さん生きてるし、会いたい時会おうと思えば会えるし」

っていう安心感みたいな錯覚で誤魔化して逃げて、お母さんのこと忘れたい。

喜びって何?苦しみって何?

私はなんでここにいるの?

生き物ってなんで存在したいって思うの?

ここにいるよって伝えたくなる、

いてもいいよって認めてくれる人に甘えたくなる。

そもそもなんで存在したいの?

もう存在してるからとしか思えない。

 

理由はないのに理由がないと辛く思えてしまうようなことをしなくてはいけない仕組みになってると思える。

この仕組みさえなければ私たちもっと自由なんじゃないだろうか。

 

でもこの仕組みの元生まれたからその仕組みを無かったかのようにもう振る舞えないけどね。

だから今更それを苦しみ死んでも仕方ない。